歴史 南北戦争

南北戦争のテネシー州近郊での戦場である西部戦線(Western Theater)に関する紹介。特に、ナッシュビル周辺の南北戦争に関する史跡をご紹介します。
南北戦争は1861年~1865年の間に発生した内戦、Civil Warという。ちなみに日本の大政奉還は1867年11月9日なので、ちょうど幕末くらいですね。戦争自体は1861年4月12日、サムスター要塞で始まりました。
テネシー州の世論は、州の西側は綿花栽培が盛んで南軍派、州の中部は50;50、州の東部は北軍派だったそうですが、1861年6月、11番目の州として最後に南軍(Confederate State of America(CSA・アメリカ連合国・ジェファーソン=ディビス大統領・首都Richimond))についた州です。
そして開戦早々の1862年2月25日に、Nashvilleは北軍に占領され陥落、その後北軍の西部戦線における重要な拠点になったとのこと。
Nashvilleは、CSAの中で最初に州都が陥落した都市となる。NashvilleはCumberland川沿いにあり、Cincinnati、Lexingtonなどの大都市との流通拠点になっていた。さらにNSH-Chatanooga、NSH-Decatorの線路が走っていたこともあり、鉄道の重要拠点でもあった。
その後戦いはアパラチア山脈を挟んで東部戦線と西部戦線に分かれるが、テネシー州では西部戦線の大きな戦いがいくつか発生している。
1862年2月 Battle of Stones River(Murfreesboro近郊)
1862年4月 Battle of Shiloh(Nashvilleの南西)
1863年9月 Battle of Chickamauga(Chattanooga近郊)
1863年11月 Battle of Chattanooga
1864年6月 Battle of Atlanta
南北戦争の一般的な史実はこのサイトでは書きませんが、Key wordだけを下記に記載;
3つの植民地カタゴリー(バージニア植民地・ニューヨーク植民地・ニューイングランド植民地)・北部は資本主義・奴隷問題後回し(独立宣言;「全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって一定の奪いがたい権利を与えられ、その中には生命・自由・幸福の追求が含まれており、我々は自明の真理であることを信じる」=>上記は白人男性のみを対象としており黒人奴隷は継続する・奴隷州自由州・ミズーリ―協定・アンクルトムの小屋出版・リンカーン大統領・サムタ―要塞・当初イギリス、フランスは南軍に協力・戦争目的の転換「奴隷解放宣言(ゲティスバーグ演説)「人民の人民による人民のための政治」(奴隷解放は南部州の奴隷のみを対象(北部の奴隷州や中立州には気を使った)・奴隷制はなくなり、イギリス、フランスは北軍に味方・米国は資本主義経済を謳歌してゆくこととなる。
フランクリンの戦いから2週間後、1864年12月15日~16日にかけて、南軍のジョン=ベル=フッドが多大な損害を被りながらもナッシュビルまで進軍してきて発生した戦い。
主戦場はGreens Hills、Forest Hills、Oak Hills、Lipscom、Brendwoodなど。左図の赤線は12月15日、一日目の戦線。二日目の戦線は大きく南へずれる。
Negley要塞は戦場とはならなかった。