Hermitage

(とってもお勧めの場所です!!)

第7代、Andrew Jackson(以下A.J)の家。もともとA.JはSouth Caloraina州の貧しい移民の子として生まれた。独学で弁護士となったが、対英戦争では軍人として参加、クリークインディアンの大量殺戮、辺境への追放、終戦条約締結後のニューオーリンズの戦いで大勝利を挙げるなど、微妙な功績とも思えるけど、当時の大衆ヒーローとなった。ニックネームは「Old Hickory(アメリカの最も堅い木)」、現在の$20紙幣の肖像としても使われている。

AJは貴族的な特権階級を憎み、さらに英国を敵視することが一貫したポリシー、一方で、Hermitageでは、奴隷を100人以上も所有していた。

大統領就任後、1830年の「先住民強制移住法」を成立させ、先住民をミシシッピ川以西に追いやった。涙の道、マニュフェスト・デスティニィ(明白なる使命)、Clearance(先住民の清掃)といった悲しい歴史が生まれた。Native Americanについては、今後チェロキー族を中心に調べようと思っている。

入口。

入場料はこれまでの最高価格の$25(笑)。でも、金取っているだけあって、施設は立派、お土産屋さんも充実、全体的にとても綺麗に整備されていて行く価値はあります。

母屋正面。分かりづらいですが、この庭園の周りの道がギターの形になっているとか。

残念ながら母屋の中は撮影禁止。壁にギリシャ神話の物語が描かれているのがとても印象的でした。

母屋裏側。この左右対称の建物の形はCarnton、Travellers Restも同じでした。説明によると、当時ワシントンにあった連邦政府のある建物に模していて、当時人気の形だったとのこと。

とにかく広大な庭。この外に綿花Plantationがあったそう。

今まで訪問した史跡の中で一番広い庭。とても気持ち良いです。$25の価値ありました。

Alfred、という奴隷が住んでいた小屋。AlfredはA.JのMaid、Gracyさんと結婚し、南北戦争後は、Jackson家から24エーカーの土地を借りて小作人として野菜などを育てていた、とのこと。その後、その生涯のほとんどをこの小屋で過ごしたとのこと。Jackson家と、Alfredはどんな関係だったのだろう?と妄想しました。

Alfred小屋の中。

Andrew Jackson のお墓。南北戦争の際にHermitageは南軍・北軍、それぞれから占領をされた経歴を持つが、南軍・北軍問わずA.Jは敬愛されており、このお墓を大切にした、とのこと。

一族のお墓。A.Jと、奥さんのレイチェルの間には子供が生まれず、養子を受け入れた。この養子の奥さんがSara、という女性だけど、クェーカー教徒だったそうで、クェーカー教は奴隷制に反対だったので、Saraは嫁いできた後、Jackson家が保有する奴隷について悩んだとのこと。

ちなみに、この養子で迎えてあA.J Juniorはイマイチな人だったそうで、このHermitageをテネシー州に売却した人。

$20札のAndrew Jacksonの肖像画。

Hermitageのお土産。

大砲(3台目になりました)、Tシャツ、チェロキー族を説明した子供向けの本。これは無理なく読破出来ました。これくらいがちょうど良いな。

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