STONES RIVER BATTLEFIELD

あぁ、相変わらずセンスのない写真・・・もっとVisitor Centerの写真とか、「SOTNES RIVER」って書いた石碑とか取っておけば良かった・・やむなし。。
STONES RIVERの戦いは、南北戦争開始直後、1862年12月30日~1月1日にかけて発生した戦い。ちなみに戦場のあるMurfressboroの地名は独立戦争時のハーディー=マーフリー大佐にちなむそう。地域は南軍寄りの市民感情がある地域。(奴隷容認思考?)
戦力は下記、カッコ内は死者・負傷者の合計
北軍;ローズクランズ将軍 43400騎(13249騎)
南軍;ブラッグ大将 37712騎(10266騎)
両軍とも南北戦争最大の負傷・損失率であったほどの激しい戦いだった。犠牲は北軍の方が多く、勝敗は引き分け、という見方もあるが、結果的に北軍がマーフリーズボロ地域を占領していることから戦略的には北軍勝利とのこと。
1862年12月30日、北軍が到着、両軍630mを挟んで着陣(近い!!)。北軍は「ヤンキードゥドゥル」・「ヘイルコロンビア」などの歌を歌い、南軍は「ディキシーボニーブルーフラッグ」という歌を歌い、その後、両軍が全員で「Home Sweet Home」という歌を合唱したそう。。。なんと悲しい。NashvilleやFranklinの戦いでもそうだったけど、南北戦争は同じ国民同士の争いで親兄弟・友達同士が敵味方に分かれて戦った。
結果的に北軍がMurfressboroの地域を占領、そして、ローズクランズ将軍は近くに砦(Rosecrans Fort、現在ではOld Fort Golf Clubがあるエリア)を作り、ここを、チャタヌーガ、アトランタなど、さらに南へ下るための補給基地とした。

北軍側陣地から見た南側の風景。この630m先に南軍が布陣したことになる。

1月1日は両軍とも疲弊を仕切っており、戦いはほぼ行われなかったそうだけど、Bloody New Year、と呼ばれるそう。陣地を占領した北軍のローズクランズ将軍は部下に命じて、敵味方の死体を埋葬したとのこと。
その後1865年、南北戦争終了後、死体を掘り返して、写真に見えるような墓地として綺麗に埋葬をしなおした、とのこと。

12月31日の戦いでHells Half Acre(死の半エーカー)、と呼ばれるエリア。

館内写真。館内は説明を読んでも20-30分ほどで回れる広さ


Visitor Centerでの戦利品!
旗はCSAの初代国旗。CSAのこの国旗は北軍と酷似していることから、この後変更されて、白地が多い旗になったが、降伏しているように見えることからさらに変わって、3回変わっているらしい。
ちなみにBelmontでかったX字の旗は軍旗なので、国旗とはまた区別されるらしい。
楽器は、裏にマグネットがついていて冷蔵庫につけられる。